2ntブログ

男と女のお話

カクテル エル・ディアブロ

遠くに見えるビルが陽炎の様に揺らめき、10月が近いというのに行く夏を惜しむかのように陽光がギラギラ輝く。
木々は緑も濃く生命力に溢れて見つめる男の気持ちを逆なでする。

男は滑走路が見えるバーで独りカウンターに座り、ジントニックを飲みながらタッチアンドゴーの訓練なのか小型機が着陸、離陸を繰り返すのを見つめる。

男がここにいるのは旅行のためではないし、誰かを見送りに来たわけでもない。
心の中に吹きすさぶ冷たい風からオレを癒してくれる何かを探しに来た。

二度目の秋を迎えようとしている。
そばにいるのが当たり前で、いなくなって存在の大きさに気付かされた女。
オレの元を去って初めての秋と冬を独りで過ごし、春から夏も過ぎて二度目の秋に踏み出そうとする今日は儚い約束の日。

六杯目のジントニックを飲み干したオレにバーテンダーが声をかける。
「お作りしますか……」
オレは時計を見る。17時を過ぎたようだ。
「いえ、チェックを」
「少々お待ちください」

離陸する飛行機を見ていたオレはドアの開く気配で振り向いた。
赤いスーツの女が息を切らした様子で入ってくる。
「ごめん、二時間も遅れちゃった。私の乗る航空機の到着が遅れたんだって。ごめんなさい」
「いや、一年待ったんだから二時間なんて大したことはないさ」
再会を期待していなかった女が現れたのに、気持ちが高揚することもない。
予想外の喜びに頭の中が混乱し、どうしていいか分からないと言うのが本音でかける言葉が見つからない。

1年前のあの日、オレたちは今と同じこの席に座っていた。
「あのね、こうかい……」
後に続く言葉は聞こえなかった。
今は静かなこのバーは、一年前のあの日も静かだったはずなのにどうして聞こえなかったのか……その事を考える一年だった。

「この前と同じカクテルでよろしいですか??」
「はい……」
小首をかしげて、どうして分かるのと言いたげにオレを見つめる女が愛おしく抱きしめたくなる。
ピクリと身体が動きそうになったが、オレの元に帰ってくれるのかどうか確信がないので思いとどまる。

「紅海の見える場所に住んで古代エジプトについての研究は一応完成したよ。あなたが一年後の今日、同じ時刻に同じ場所で待っていると言ってくれたのが励みになったし時間的目標にして頑張ったの……ありがとう」
「えっ、うん……オレの言葉が励みになったのなら嬉しいよ。共同研究者としてオレの名前も入れてくれる??」
「フフフッ、考えとく」

一年前、女の口から出たこうかいという言葉は、二人で暮らした日々を後悔していると言うことではなく、紅海だったのだ。
「一年後の今日、この場所で同じ時刻15時に待っている」
キャリーバックを引いてバーを出る女に掛けた言葉だが、紅海と後悔を誤解していたことを知ると搭乗口で見送らなかったことを恥じる。
「ごめん、搭乗口で見送らず、ここでジントニックを飲んでいたままだった」
「クククッ、それを思い出すとこの一年楽しかった。私としばらくとは言え別れるのが辛かったんでしょう??搭乗口で頑張れって、笑顔で見送られるのも良いけど、やせ我慢されるのも女は嬉しいんだよ」

「どうぞ……」
カシスの赤が血の色にも見えるカクテル、エル・ディアブロが女の前に置かれた。
「一年前に一度来ただけなのに……」
そうだ、一年前のオレたちを覚えていたのなら、今日のオレをどのように見ていたのだろう。
そっとバーテンダーを見ると、オレにだけ分かるように頷き、目は良かったですねと優しい光を宿す。

「このカクテルはエル・ディアブロって言ったっけ??」
1年前、彩のためにオーダーしたカクテル、エル・ディアブロ。
オレは黙ったまま頷く。
「ねぇ、ディアブロの意味を知ってる??」
「悪魔……」
「こんなにきれいな色ですっきりしたカクテルなのにね」
おまえが悪魔だよ。オレにとっては……

「そろそろ帰りたい。長旅で疲れちゃった」
「部屋はそのままにしてあるよ」
「当り前でしょう」

バーテンダーを呼んだ。
「チェックしてください」


<<おしまい>>

男と女のお話

ホテルのバー

「ねぇ、そのギムレットを飲ませて」
「いいよ、どうぞ」
「あれっ、初めて会った時、あなたが飲んでいたジンライムだったっけ、あれと似ているような気がするんだけど」
「材料はジンとライムで同じ。大きな違いは、ギムレットはシェイクしてカクテルグラス、ジンライムはウィスキーグラスでステアする。ジンって癖があるけどシェイクすることでライムと混じり合って角が取れる」
「ふ~ン、アルコールの能書きを言う人って好きだよ。酒の似合う男性が好きだし、こだわりを持っている人が好い」
「ギムレットとジンライム、どっちが好き??」
「はっきり覚えてないけど、味はこれ、色はジンライムがいい」
「今日はフレッシュライムを絞ってもらったからさっぱり爽やかでガムシロを加えて、なによりシェイクしている。この前のジンライムはライムジュース使用だったから少し甘いのと色のグリーンが、はっきり出る」
「ふ~ん」
「ギムレットはレイモンドチャンドラーの小説、私立探偵フィリップ・マーローシリーズで有名なカクテルだよ。“ギムレットには早すぎる”というセリフでね」
「それ、知っている。”長いお別れ”だよね」
「チャンドラーを読むの??君は予想外にハードボイルド派??女性は小説に感情移入するのかと思っていた」
「英文科だったんだけど、先生が変な人でチャンドラーのファン。その上マーローのセリフがお気に入りで、教材として使っていたの」
「なるほど変だ。If I was not hard.I would not be alive.If I could not ever be gentle.I would not deserve to be alive。男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」
「そうそれ、授業の開始前、出席簿を廻しながら、そのセリフで始まっていた」
「オレも受けたかったな、その授業」
「うん、モテタだろうね、女子大だから」

「ちょっと用を思い出したから、しばらく失礼させてもらうよ」 
男は席を立つ。

女は退屈したわけでもないのに両手で頬杖をついて窓いっぱいに広がる高層ビル群の灯りや川を行き交う船の景色を楽しみ、一つの星も見えない空を見つめて席を外した男との明日が見えない事を重ね合わせて口元を引き締める。

男は席に戻り窓外の景色に見入る女を見つめる。
「どうしたの、私の顔に何かついている??」
「この夜景はいつでもあるけど、この一瞬の君は今しかいない」
「褒めてもらっていると思っていいの??」

ショパンのノクターンが演奏されている。何番かは知らないが昔ハリウッド映画で有名になったと聞いたことがある。
夜の始まりに流麗なピアノの調べが心地良く、朝日を見る頃にはもっと幸せな気持ちになっているに違いないと頬が緩む。

「どうしたの??思い出し笑いのようで感じ悪い……このバーにあなたは男同士や1人で来ることはないと思うけど、過去は詮索しないし許してあげる」
「それは、それは、ありがとう。でも誤解だよ、君以外の女性を想い出したわけじゃないよ」
「ふ~ん、信じるかどうかは……ねぇ、会うのは今日で2度目だけど、私を口説く気がある??」
「明日は休みだろう、今日は送らないよ。君の時間をプレゼントしてもらいたい」
ポケットから電子キーを取り出してテーブルに置く。

「ウフフッ、紳士がオオカミになるの??」
「好い女を前にして、いつまでも紳士でいるほど失礼でも野暮でもない積りだよ」
「席を立った時から期待していた」
「自信家の女は嫌いじゃないよ。グラスを持つ白い指、飲むときにチラッと覗く赤い舌が妙に艶めかしくて我慢できなくなる」
「ゾクゾクする、もっと言って」
「生ハムを食べる口元を見ていると、オレが食われているような気になる」
「そう、私は男を食べるのが好きな女なの。カマキリの交尾って行為を終えたオスはメスに食べられちゃうの。子種を吸い取られた挙句、最後は母と子のための栄養になるんだよ」
「君はオレを食い尽くして栄養にしちゃうのか??」
「私との子孫を残す価値がある男ならね。生まれてくる子供のために栄養になってもらうかもしれないけど、今は私を楽しませるために生かしといてあげる。気持ちよくさせてね、期待しているよ」
女の瞳は欲情を滾らせて淫蕩な光を宿し、昂奮で乾いた唇に舌を這わせて滑りを与える様子に男の股間が反応しそうになる。

男は人差指と中指をテーブルに置き、何かを想像させて卑猥に蠢かす。
グラスを持ち、視線は女を捉えて離さず、舌先をグラスの縁に這わせる。
「クククッ……もっと、やって……」
思いを込めて舌先を出し入れし、グラスの縁を舐めてワインを舌先で掬うように口に運ぶ。
「ねぇ、もう止めて、舐めるのは止めて。私たちを見て笑っている人がいる」
「嫌だ……君のアソコが濡れるまで止めない……」

女はキーを取り立ち上がる。
「我慢できない。もうグショグショ……部屋に行こうよ」

オオカミを前にして目が潤んでいる……女はカマキリではなく可愛い子羊のようだ。


                                               <<おしまい>>

男と女のお話

幸子の愛

風俗嬢に馴染んだ私に結婚式の招待状は正直嬉しくない。
休日で大安と日柄も良い今日は、ホテルの宴会場の廊下は幸せな顔で満ち溢れている。
陽光の下、今の仕事に就く前の友人の晴れやかな表情を前にして幸せを祝うのは辛いと思うこともある。
理由を言い繕って出席しないと色々噂話をされているんじゃないかと気になり落ち着かないからしょうがなく出席する。

今日は昼間の仕事時代の友人の結婚式に招かれた。
今、住んでいるマンションは気に入っているけど、引越しをして古い友人の住所録から私の名前を消し去りたいと思う。

「本日はおめでとうございます。お招きいただきましてありがとうございます」
型通りに受付で挨拶を済ませ、ひっそりと片隅に佇み開宴を待つ。
机を並べて仕事をしていた懐かしい顔もあるが、今の仕事など知られたくない話題になることは判っているのでなるべく顔を合わせたくない。

「あれっ、由美ちゃん。今日はどうしたの??」
「あっ、柏木さん……柏木さんこそどうしたのですか??」
「新郎は学生時代からの友人なんだよ。由美ちゃんは??」
「新婦は昔、私が昼間の仕事をしていた時の同僚なの」
「ふ~ん……偶然ってあるんだね、由美ちゃんに会うとは思いもしなかったよ」
「そうですね。私も柏木さんに会うとは夢にも思わなかったです」
「ところで、披露宴が終わった後なにか予定はあるの??」
「いいえ、何もないですよ。今日は仕事もオヤスミを貰ったし」
「そう、じゃ時間くれないかな。話したい事もあるし」
「わかりました」

他人の幸せを素直に祝福できなくなりつつあった私に披露宴は退屈な時間だった。
当然のことながら古い友人たちと同じテーブルに座り、近況の話になると言葉を濁すのにも限界があり、この場を離れるのをひたすら待つ時間はやっぱり欠席すればよかったと後悔する。
今日の新婦のように晴れやかな幸福を味わう場に立つことは諦めていたけど、柏木さんに会うとは思ってもいなかった。
この後、どんなことを言われるのかと思うと不安で落ち着かない。

お客様としての柏木さんとは身体の相性も良く、営業用の対応ではなく気持ちを解き放ちすべてを委ねて真の快感を味わっていた。
私の身体を労ってくれるし他のお客様のように自分勝手に満足することもなく、仕事を通じての関係とは言え密かに恋愛感情を抱いていた。

夢の中に柏木さんは何度も出てきた。
身体の関係があると言っても仕事を通じての事であり、お金を頂戴する事を拒否したいと何度も思ったことがある。
片想いの相手とは夢の中で理想の恋愛をすることが出来る。
恋の字の心は下にあるから下心、愛の字では真ん中にあるから真心と言った人がいる。
私は柏木さんを愛している。柏木さんへの想いに下心はない。
私は夜の世界で生きている。朝日が憎い、朝日と共に夢はシャボン玉のように儚く消えてしまう

片想いなのはしょうが無い。
今の仕事を選んだのは私だし、この仕事をしていなければ柏木さんと会うこともなかった。
自分の感情を正直にぶつけることのできない切なさで枕を涙で濡らすこともあった。
それも今日まで、柏木さんの話を聞き、別れた後はすっぱり忘れよう。


「ごめんね。無理言って」
「いいえ。柏木さんは私にとって大切なお客様だから、お誘いいただいたのは嬉しかったです」
嬉しいと言いながら自然と表情が強張るのを意識する。
「客だから会ってくれたの??」
「はい……いいえ、柏木さんだから、お客様としてではなく大切な人だから、嬉しかったです」
精一杯、笑顔を作ろうとしても顔が引きつって強張りが消えることがない。
そんな私を心配する様子もなく、にこやかに話し続ける柏木さんが憎い。

「良かった……オレはもう店に行くのを止めようと思う」
「そうですよね……風俗嬢とお客様が今日のようなハレの場で会うのは良くないですよね。今までありがとうございました」
「そうじゃないよ。由美ちゃんが嫌じゃなかったらオレと付き合ってくれないかな??」
「えっ……質の悪い冗談を言わないでください」
「そんな風に聞こえるのか、オレは真面目なんだけどな。客としてではなく恋人として……いや、最初は友達としてでもいいから付き合ってください」
「……うそ……そんな冗談を口にすると私は本気にしますよ」
「直ぐでなくてもいいから、今の仕事を止めてオレのお嫁さんになって欲しい」
「……いいの??」
「由美ちゃんをお嫁さんにしたい。返事は今でなくてもいいよ……この言葉を伝えるのに時間がかかったんだから、待つことは平気だよ」
「ありがとうございます。考えることなど何もないです。私でよければお嫁さんにしてください。私は柏木さんが好きです」
「ありがとう。今日、逢えてよかった」
「私の秘密を聞いてください。由美は源氏名でほんとはサチコと言います。幸せの子と書いて幸子」


<<おしまい>>

春時雨

「遅くなって、ゴメン……」
「雨の金曜日。週末のデートで楽しそうなカップルを見ながら窓際の予約席に1人座る好い女、人生最悪の時間を過ごした気がする」
「ごめん、食事は??」
「独りで先に食べるわけがないでしょう、お腹はペコペコだしミモザカクテルでお腹がタプンタプン。そういえば、私たちが初めて会ったのも雨の日だったよね」


春の雨の日だった。
「どうぞ、この傘を使ってください」
「そんな事をしたら、あなたが困るでしょう??」
「私には迎えが来るから大丈夫です」
「それでは、お借りします。明日のこの時刻、ここでお待ちしていますから」
「気にしないでください。住んでいるのはこの近くじゃないので、邪魔なら捨てちゃってもいいですよ」

「あれっ??お迎えの方は??」
「えっ、あぁ、急用が出来たらしくて会えなかったんです」
「待ち合わせは、恋人ですか??」
「いいえ、男の友人ですよ。迎えに来ないし電話連絡もないし家まで行ったのですが帰ってなくて……仕方ないので、このコンビニで傘を買おうと思って立ち寄ったところです」
「無責任な方ですね」
「いやぁ、連絡がないって言ったのは嘘で、自宅にもいないし連絡を入れたら日を間違えていました。明日の約束だったのを私が勘違いしちゃったらしいです」
「ずぶ濡れにしてしまってゴメンナサイ。私の家に来てください。このままじゃ風邪を引きますよ」
「いえ、大丈夫です。濡れネズミの男を連れて帰るとご家族がビックリしますよ。それは本意じゃないので遠慮します、気にしないでください」
「ウフフッ、一人住まいですからご懸念には及びません。夜食は何がいいですか??」
「それじゃ、乾くまで、お言葉に甘えてお邪魔させてもらおうかな」

「恥ずかしくて目を開けられないよ。あっちを向いてくれる」
翌朝、目が覚めたオレは夢の中で迷子にならず腕の中で丸くなって眠る女を見つめていた。
昨日まで赤の他人のオレに無防備な姿を晒して眠る女を見ると愛おしさが募り、寝顔を見続けるのに飽きることがなかった。
いつもポケットに隠し持っていた赤い糸。
これまで何度か手繰り寄せては糸の先に気配のない事を経験していた。

オレの視線が恥ずかしく、目を開けられないと可愛い事を言う女の髪に顔を埋めて胸いっぱいに匂いで満たし、温かい息を吹きかける。
「あんっ、くすぐったい」
狭いベッドでハダカンボの身体を寄せ合って眠った二人。
立ち上がりカーテンを開けると昨晩と打って変わり眩しい陽の光が部屋に入り込む。
「眩しい。今日は平日だし休みじゃないでしょう……」
「仕事が終わった後、もう一度会ってくれる??お礼を兼ねて食事に誘いたいんだけど」
「お礼代わりに誘ってくれるの??」
「うん??いや、付き合ってほしいんだけど……こんな恰好で言うのは礼儀に反するかな??」
「クククッ、私は強引な男も好きだよ。まだ時間があるでしょう、私の身体に聞いてみれば??……身体が好いって言えば私に異存はないよ」
二度目のセックスは互いの性感帯を確かめる余裕も出来て身体をまさぐり合い、唾液や体液を交換して濃密な時間を過ごした。


「そうだったね。あの日、急に雨が降らなければオレ達の出会いもなかった」
「夏の嘘つき雨を<狐雨>って言うけど、あの日は春。春の嘘つき雨ってなんていうのかな??」
「さぁ、なんて言うんだろう、春時雨かなぁ??」
「あの夫婦いいね。ベタベタするわけではなく、無関心でもなく、あんな関係が理想だな。あそこのカップルはどう見ても不倫としか思えないよね……なに、私の顔ばかり見ているでしょう」
「見つめても飽きることがない。今朝も目覚めた時に居るはずのない君に触れないかと思って、思わず手で回りを探っちゃったよ」
「クククッ、ハダカンボの私を探したの??それとも、服を着た私を探したの??」
「さぁ、どっちだったろう??どんな格好でも好いよ、目覚めた時に君が手の届く範囲にいて欲しい」
「そんな面倒な言い方をしないでくれる。はっきり言って」
「オレん処に来ないか。一緒に住んでくれよ」
「いいよ。いつ引っ越ししようか??」
「明日。引っ越し業者じゃなく、友達何人かと車を用意しといたから」
「えっ、私がウンて言わなかったらどうするの??」
「力ずくで引っ越しさせるさ……引っ越しを友人に頼めば、改めて紹介しなくても好いし一石二鳥。強引な男が好きなんだろう??」
「クククッ、明日の引っ越しに備えて腹一杯食べなきゃね」

<<おしまい>>

Goodbye my love

「ごめんなさい、呼び出すようなことをして……」
「ごめん、メールを気付かなかったよ。昨夜も見ないで寝ちゃったから」
「いまどき、ケータイは電話だけ、SNSって何って言うのはあなたくらいだよ。今回みたいに急用でも連絡の取りようがないんだから……奥様の事を思うと電話はしづらいし……」
「ほんとにごめん。それより、何かあったの??」
「用がなきゃ連絡しちゃダメなの??」
「そんな事はないし、嬉しいけど、お別れを言われたのは、ついこの前だろ」
「フフフッ、ヨリを戻して欲しいって言ったらどうする??……ウソウソッ、そんな困ったような顔をしないでよ」
「もしかしたらって、嬉しくって……」
「うそ、本当に困ったような顔をした。それでなきゃ私も困るけど……お店の大家さんと女の子に挨拶をしようと思っているの。大家さんには5年位お世話になったし、一緒に頑張ってくれた女の子も心配だしね、このご時勢だから」
「そうだね、あの子はどうしたの??昼の勤めだけで夜のアルバイトは止めようかなって、言っていたように思うんだけど」
「午後、会うんだけど、アルバイトでキャバクラに勤めるって言っていたよ。多分、お店には、もう出ていると思う。お客になってあげて、今は大変だもん」
「いいよ。お店と名前を連絡してもらってよ、太客にはなれないけどね」
「エッチはしちゃだめだよ」
「えっ??」
「嫌じゃない。昔の男が知り合いとエッチしていると思うのは……私は奥様のように寛大じゃないから」
「クククッ、昔の女が他人の妻になって、毎晩ヒィヒィ啼かされているのかと思うと気が狂いそうになるよ」
「バカッ、止めてよ。ホテルのロビーで待っているって、今朝メールが届いた時はドキッとしたんだから」
「もう10時だよ、12時までしか時間がないって言ってたろ、早く部屋へ行こうよ」
「それくらい強引なら、サヨナラは言わなかったかもね……」

男から視線を外すことなくローズレモネードを口に運び、男はシナモンココアをシナモンスティックでかき回し、視線の先にはホットレモネードを両手で持ち、いかにも美味そうに飲む女がいる。
苦笑いと共に一ヶ月ほど前のことを思い出していた。
「何を考えているの??想い出し笑いなんかして……」
「ほんとうに好い女だなって……もう会えないのかと思うと残念だよ」
「奥様に、これまでご迷惑をおかけしました。お店を止めて結婚しますって、連絡したの……ちょっと、化粧室に行ってくるね」
驚いた表情の男を残して席を離れていく。


いつもの土曜日のように女のスナックへ行き、帰ろうとした時のこと。
「ねぇ、私の希望を叶えてくれる??」
「いいよ。何をすればいい??」
「一度でいいから、二人でお泊りしたいの……お願い。今回だけでいいから」
「冗談はよしなよ。彼女がびっくりしてるよ」
オレは返す言葉も思い浮かばず驚きと共にもう一人の女を視線で示す。
「冗談じゃないの。一度だけ……二度とは言わないから」
あまりに必死な様子に頭に浮かんだ妻の顔を追い払い、
「判った。来週か再来週の週末でいいかな??……何処がいいの、行きたい所があるんだろ??」
「何処でもいい、ここから歩いて数分のホテルでいいの。一度でいいから朝日をあなたの腕の中で見たいだけ」


そして翌々週の週末、実家へ二泊の予定で出かけた妻の留守に10kmほど離れた街のホテルに一泊した。
何度かディユースで使ったことのあるホテルなので景色を見ることもなく、すぐに男をベッドに押し倒してベルトを外し、下着もろとも脱がせてむしゃぶりつく。
いつもと違う女の様子に好奇を宿した男は抗う事も異を唱えることもせずに顔を上下する様子を見つめる。
ヌチャヌチャ、グチャグチャッ……プファ~、ハァハァッ……頬張ったペニスに思いを伝えようとするかのように息の続く限りフェラチオした女は、上気した顔を上げて男を見つめ、荒い息が落ち着く間もなく、
「このまま欲しい。今すぐ……入れてもいいでしょう??」
男の返事を待つことなく引きちぎるようにして自らの衣服を脱ぎ捨てた女は騎乗位でつながり、そのまま身体を倒して唇を合わせる。

グロスを引いたように滑りと妖しい艶を湛える唇を合わせ、性的興奮を高揚させた女は真っ赤な瞳で男を見つめる。
「何があったかは聞かないけど、すごいな今日は……」
「嫌いになる??」
「なるわけがない、前にも言ったろ。オレは何があっても味方だよ」
激しい欲望の塊のようだった女は姿を消し、いつもの穏やかな表情に戻る。
「ごめんなさい……今日は私のしたいようにさせて、お願い」


別れを告げるのが目的だと分かったのはセックスを終えた後の事だった。
生まれ故郷に帰って市役所に勤める男と結婚すると聞かされた。
そう聞かされた時、別れを思う切ない気持ちと同時に安堵する自分もいた。
愛する妻がいる身で他の女性と親しく付き合う事も何度かあった。
自己保身……それを否定する積りはないが、修羅場を迎えないためには振られて付き合いを清算するのが一番だ。
それも可能なら女性に幸せな将来が待っていることが望ましい。

席に着く女のはにかんだ表情が眩しく、記憶の隅に隠した宝箱の中に入れたのは早すぎたかと悔やむ気持ちが一瞬脳裏をよぎる。
「ウフフッ、私と別れたのを寂しいと思ったでしょう??」
「そう言われると返事に困るな……、合っているとも間違えているとも言わないけど、どうしてそう思ったか聞きたいな」
「私がどれほど、あなたの事を好きだったか気付かなかったの??奥様がいるから我慢したけど、ワンちゃんが大好きな飼い主さんの気持ちを探ろうと必死で見つめることがあるでしょう??私も、あなたの一挙手一投足を見つめていたんだよ。目の前にいなくても誰と何をしているんだろうって考えていたから、ほんの少しの変化でも気付くの……分かった??って、これは奥様が言ってたよ」
「えっ??」

「その先を知りたかったら奥様に聞いてみれば……今日、会ってもらったのはね……あなたと別れても奥様が私との付き合いを続けてくれるって言ってくれたの、それを教えといてあげようと思って」
「妻の事を思うと電話しづらいって言わなかった??」
「あなたを呼び出してくださいって奥様に言える??」
「言われてみれば、そうだね」
「あなたと付き合っていると気付いたからだと思うけど、私の店に一人で来た時からのお付き合い。水商売の先輩としても色々教わったし大切にしたい関係だから知っておいてほしいの。途中で気付いたらいろいろ勘繰るでしょう??」
「……うん、ありがとう」
どう言葉を返したらいいのか分からず、困っているオレに、
「奥様もあなたも、小布施の栗製品が好きらしいよね。近いうちに奥様あてに送るけど、びっくりしないで済むでしょう??」

「それじゃぁ、私は行くね。あなたが大好きだったし楽しい思い出がいっぱいあるけど、これからは亭主になる人の事を大好きになるの……」
立ち上がってオレに近付いた女は、チュッと頬に唇を合わせ、
「これが最後の想い出」と、囁いて颯爽と立ち去る。
独り残されて後姿を見つめるオレは、好い女だなぁ、口説きたくなるよと言葉にはせず見送る。
オレは記憶の宝箱に隠した想い出を折に触れて見るのだろうが、彼女はサッサと忘れてご主人と新しい恋をするのだろうなと思うと苦笑いが浮かぶ。
カップの底に残る冷えたシナモンココアを飲み干すと、こんなにも不味い飲み物だったかと慌てて水を飲む。
プロフィール

ちっち

Author:ちっち
オサシンのワンコは可愛い娘です

アッチイのは嫌
さむいのも嫌
雨ふりはもっと嫌・・・ワガママワンコです

夜は同じベッドで一緒に眠る娘です

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード