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彩―隠し事 358

余波 -15

駅に戻った優子はこのまま帰るか否か一瞬の逡巡の後、二階にあるカフェに入り駅入り口を見渡せる窓際の席に座り、コーヒーを飲みながら駅前のロータリーに入ってきた路線バスやタクシー、送迎の車や歩道を歩く人、そこかしこに佇む人待ち顔の人たちに視線を巡らす。
目の前に広がるこの場所は、夜の帳が降りた健志の部屋から見る煌びやかに輝く夜景の一部を作り、この街に集う人たちの妖しい欲望を飲み込んでしまうエネルギーを隠している。
待ち合わせらしい人たちは相手が来ると一人、また一人といなくなり、新たな人が同じ場所で時刻を確かめて彼方此方に視線を巡らし待ち人を探す。

時刻を確かめてはイライラした様子で周囲を見回す女性が気になり始める。
時計を見たり周囲に視線を巡らしたりする回数が増えてその間隔も徐々に短くなり苛立ちが周囲にも伝って近くに居た人が遠ざかり、遠巻きに様子を盗み見る。
そんな様子を見つめる優子は自分もそんな風になっていないかと気になり、目を閉じて大きく息を吸い込み、わずかに口を開けてゆっくり吐き出す。
深呼吸を繰り返して平静に戻った優子が目を開けるとロータリーに入ってきた車から栞が降り、車を挟んで立つ健志が後姿に手を振って見送くる。
悠士の店ではハダカンボになった栞の採寸に立ち会わず、ここでもまた食事に誘うこともなく見送る健志に安堵してスマホを手に取ると健志を呼び出す前に栞から着信が入る。

「もしもし、栞??もう終わったの??」
走り去る車を見ながら何も知らぬ風を装って話し始める。
「うん、終わったよ。デザインも決めて旦那様の誕生日に間に合わせてもらえるように健志さんも頼んでくれて助かった。ありがとう」
「私は何もしてないよ。それより、今は何をしているの??」
「フフフッ、健志さんと一緒じゃないかと心配しているでしょう??大丈夫、駅まで送ってもらって別れたところ。私はもうすぐ電車に乗るよ」
「そうなの……心配はしていなかった、本当だよ。続きはまた明日ね、バイバイ」
車はとっくに視界から消えて、周囲にも分かるほどイライラしていた女性の恋人らしい男性が現れると満面の笑みで飛びつくようにして腕を取り繁華街の方向に歩いていく。

手の中のスマホを見つめ、ホテル泊りだと言った夫の言葉を思い出すと指は自然と健志を呼び出す動きをする。
「もしもし、もう終わった??」
「終わったよ。英子さんを駅まで送って、もうすぐ帰り着くところだよ」
「そうなんだ……夕食は食べちゃった??」
「適当に作るかどっかに食べに行くか思案中。彩は何をしているの??」
「帰宅途中……ねぇ、もしもだけど、食事相手が欲しいなら途中下種してもいいよ」
「嬉しいな。車を駐車場に入れたらすぐに戻るから、オレが駅に着くのは20分後、改札口で待っているよ」
「20分なら彩の方が早く着くと思うよ。待っているから急いでね……」

「ハァハァッ……10分で来たけど待った??ハァハァッ……」
「走ってきたの??急いでと言ったけど20分くらい待つのは平気だから何も走らなくてもよかったのに……それとも、彩が誰かに誘われてフラフラついていくと思った??」
「オレよりも好い男が誘ったのかよ……どいつだ、ぶっちめてやる」
「誘いを断るとタクシーに乗ってどっかに行っちゃった……クククッ、ざんねん。彩を取りっこするために魅力的な男性が二人、人目も憚らずに決闘するなんて、想像するだけでゾクゾクするし女冥利に尽きる」
駅構内であらぬ妄想に耽る二人を避けて通りすぎる人たちを気にする様子もなく言葉遊びに興じる内に健志の息遣いは平静に戻り、額に浮いた汗を白いハンカチで拭き取った彩はチュッと唇を合わせる。
「ありがとう、何を食べようか??急ぐだろう??」
「任せる。健志の地元だもん」
「分かった……運動の後は良質のたんぱく質補給ということで鶏料理にしよう」
豪華なディナーを期待したわけではないけど、釣った魚に餌はやらぬということで焼き鳥なのか、それとも気取る必要のない仲になったと喜ぶべきなのか、彩は健志の表情を覗き見る。
「どうした??オレの顔に何か付いている??」
「彩が愛するのは夫が最後だと思っていたけど、ウフフッ……焼き鳥やさんに早く行こうよ、お腹が空いた」
腰に添えられた手の温もりがスカート越しに微かに感じられ、仕事のためにホテル泊まりになった夫の顔を振り払って健志の腕に手を回して身体を預ける。
店は入り口も堂々として彩が知る焼き鳥店と同じようには見えない。
「いらっしゃいませ。あいにくと個室の空きがございませんのでテーブル席にご案内いたします」

鶏肉の梅肉和えを食べた彩は、お通しがこれなら十分に満足させてくれると、釣った魚に餌はやらぬと考えているのかと思った自分を恥じる。
魚介刺身や鳥刺しと共に飲む冷酒が身体の隅々まで届く頃には能弁になっていたが、悠士の店で栞の裸体を見なかったのかと問いただすには周囲の客が気になり話題にできない。
砂肝やせせりを使った料理が冷酒を飲むペースを速める。
「彩、ピッチが速いよ。味わって飲まないと酒が悲しむよ」
そんな健志の言葉に、これくらいの酒で酔っぱらうことはないよ。亭主がホテル泊まりだといつ告げようかと考えているんだから察してよねと言う言葉を飲み込む。

鶏すき鍋を食べ終えてデザートも終わると空になったグラスを示して、
「カクテルを一杯飲みたいな、ダメ??」と首を傾げる。
「もう9時近いけど大丈夫??」
そんな言葉を聞きばしてニコッと微笑むと、しょうがねぇなと言いたげに口元を歪めて、しかし嬉しそうにカシスソーダとジントニックをオーダーする。

両手でグラスを弄りながら視線を合わせることなく、
「今日は夫が帰って来ないの……泊まれよって言ってくれる??」
話し終えた彩は視線を外したままカシスソーダを飲み、見つめる健志は赤い液体が口腔に吸い込まれていく様にドキッとして唾を飲む。
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ちっち

Author:ちっち
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